大沢重機株式会社

スタッフブログ

スタッフブログ

2020年03月30日
    ♦♢駿河国♢♦

皆さん こんにちは!

大沢重機事務員です。

___________________________

__

弊社、大沢重機株式会社は本社を静岡県御殿場市に、営業所を御殿場市神場、沼津市西間門に構えています。

先日テレビで名古屋対東京の番組が放送されており、静岡市出身のアンタッチャブル柴田さんが

【静岡県はどっちの味方なんだ】と名古屋の人に突っ込まれると

【静岡は良くも悪くも中立、一番平均が取れている県】と返していました。

横に広い県の為、弊社のある東部地方は関東圏の隣ですが

浜松市などは名古屋の方が近くなります。

【企業が新商品を出すときに静岡でテストをするんですよ】

柴田さんがそう続けていたので調べてみると

確かにあらゆる企業が新商品や新企画のテストをするのは、東京や大阪などの大都市ではなく静岡県でした。

(広島や札幌も多いみたいです。)

というのも、

年代の構成比率も平均的、物価も平均的、職業の構成比率も平均的。

さらに世帯当たりの消費支出額まで平均的。海も山もあり、田舎もあれば都市もある。

日本の真ん中に位置し、大阪や東京への距離感もちょうどいいという

平均が極まった県なんですね。

確かに今考えると、私も学生の時東京に出ていましたが

東京にいるよりも地元でコンビニに行った時の方が早く新商品を見かけていたような気がします。

よく特色の少ない県なんて言われますが

全体の平均というのもなかなか悪くないような気がします。

 

そんな平均的な静岡県ですが中世では栄華を見せました。

旧令国制の伊豆国、駿河国、遠江国の凡そ3国に相当する静岡県ですが

弊社のある県東部は駿河国(するがのくに)に当たります。

 

現在の静岡県沼津市・御殿場市・裾野市・清水町・長泉町・小山町は、古代の珠流河国(するがのくに)。
現在の静岡市清水区を中心として、富士川と大井川に挟まれた範囲が廬原国(いおはらのくに)。
7世紀に2つのエリアが合体して、駿河国が生まれました。

駿河は、珠流河国(するがのくに)と併せながら

尖川ないし駿馬の如きつまり、山から海に落ちる険しい川の意図をもって命名されたといわれています。

富士川の流れが急峻であることに由来するそうです。

特に足利氏が征夷大将軍に補任した室町時代は、足利氏のご一家の一つ吉良氏の分家である今川氏の地盤となり

戦乱を逃れた京都の公家や文化人が転入し「東(国)の都」、あるいは「東(国)の京」、と呼ばれる繁盛を見せました。

その後桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れ、衰退し

武田信玄や徳川家、中村家と移り変わり駿河国は伊豆国、遠江国と併合静岡県になりました。

代表的なのは桶狭間の大戦ですが、日本の歴史の中の数々の大戦の一つでも結果が違えば

静岡をはじめとして日本全国の都道府県の分け方も変わりますし

京都や、奈良、東京などの首都も変わってきたのかもしれません。

学生の時習った歴史は正直右耳から左耳に抜けていきましたが

そういったロマンを思いながら歴史を見てみると興味深いですね。

__

ちなみに古代 珠流河国の国造祖の大新川命の墓と考えられる高尾山古墳(西暦230年ころ)は沼津市にあり、

古墳出現期の東日本では最古級かつ最大級の古墳とされています。

日本考古学協会は、日本の初期国家形成過程の画期である古墳文化形成を解明する上で極めて重要な遺跡であると評価していますが、

高尾山古墳は都市計画道路(沼津南一色線)の建設予定地にあたっており、

沼津市は沼津南一色線を都市の骨格を形成する重要な路線であると位置付けています。

そのため、これまで道路建設と古墳保存を巡って様々な議論がなされていて、古墳保存と道路建設事業の両立を目指した施策が検討されています。

 

地元の道が便利になることも、地元の重要な歴史遺産を残すこともどちらも大切な事なので難しい議題ですね。

 

________________________

__

 

写真は12tラフタークレーン(ミニラフター)

RK120-3 性能表はこちら

吊り荷や作業半径、楊重高さなどによって最適なクレーンが異なります。

弊社HPクレーン事業部より各クレーンの性能表、定格荷重表をご覧いただけますので

ぜひご参考にして頂ければ幸いです。

楊重作業場所の現地調査や、お電話などのお問い合わせお待ちしております。

 

_______________

 

 

ご不明な点などございましたら、
お気軽にお問い合わせください。

TEL:0550-89-1051